2020.03.26開設

ホラー映画で学ぶ作曲法!良いホラー映画ほど怖くない!作曲やアレンジならDTMerはホラー映画に学べ

どうも、私が管理人のダリオだ。今回はホラー映画の話。


ホラー映画界隈の話をする際「怖いもの見たさ」とか「怖い映画教えて!」とか「怖いから嫌っ!」とか言ったりする。

私は断固反対である!

怖い映画を御所望なら深作欣二監督の「仁義なき戦い」や「バトルロワイアル」など、そちらの名作をおすすめする。

何が言いたいのかと言えば、

怖い映画とホラー映画は違う

と言いたいのだ。

我々、作り手の音楽人が絶対見逃してはいけない違いである。クリエイティブに身を置く以上明確に認知しておかなければならない。つまり、

「怖い」と「怖い」が具体的にどの様に違うのか?

をハッキリと説明できなければならないのだ。
 

実体験としてその場で怖がらせるのがホラー

確かにホラー映画も見る側にとっては怖いという事に違いはない。しかし、怖さの質や「怖い」と感じるまでのプロセスに大きな違いがあり、一括りにしてはいけない。

その大きな違いとは、ホラー映画の作り手は怖さを見せるよりも、実体験として視聴者にその場で怖がってもらえるように作り込んでいかなければならないという事だ。少なくともその部分があってこそ成り立っている作品でなければならない。

客観的に怖さを見せるのはホラーではなくバイオレンスであったりハードボイルドである。

「おお〜ぅ、怖いなぁ」
「ほほぅ、ヤバい奴が出てきたぞ」
「あんな事されたら怖いだろうなぁ」

など感心や期待されるホラー映画は成り立たないのだ。お笑い芸人がギャグをやって「おおおおお!」と拍手されている様なものである。ホラーを好む人は恐怖を観たいのではなく、恐怖を体感したいのだ。

ホラー映画における恐怖体験のメカニズムとは何か?

とその前に、冒頭でも話したとおり、「怖い」と一言で言っても様々である。だから話の複雑化を防ぐ為、ホラー的な「怖さ」の事を以降「不気味さ」としておくことにする。

さて、話を戻して、人が恐怖を感じるメカニズムであるが、まずは不気味であるかそうでないかの違いについて触れておこう。一言で言えばそれは、

脅威と感じる対象が明確か明確でないかである

もう少し具体的に分かりやすく説明しよう。例えば、銃やナイフを突き付けられて脅されている、高層ビルの屋上から落とされそうになっているなど、明らかに自分に危害を加えようとしている対象がいるといった状況。これは脅威の対象が明確であると言える。

反対に明確ではない脅威とは「そういった夢を何度も見る」という状況である。これは正に不気味であると言っていいだろう。

なぜなら、何故同じ夢を何度も見るのか?自分はどうしてしまったんだろう?何かの啓示なのか?など、その時点で脅威と感じる対象が不明瞭であるからだ。

つまり、曖昧なのが不気味でありホラーなのである

得体の知れない恐ろしい存在が、出てくるのか?出てこないのか?居るのか?居ないのか?といった

曖昧な過程

これこそが不気味さを演出し、人々に恐怖を体感させるのだ。

つまり、シッカリとした良いホラー映画とは、恐怖を見せてくるのではなく、恐怖を体感させてくる仕組み作りがなされている作品である。

余談

その昔、映画リングを初めてDVDで観た時はこの世の終わりかと言うほど恐怖したのを覚えている。演出、音、映像、キャストの演技力、全てがホラーに向かって統一されていた。

しかも音量が実にイヤらしい

セリフが小さくて聴こえないので大きくして観ていると効果音がバカでかくなって飛び上がるほど驚いた。あの恐怖体験は忘れない。夢に出てきそうとは正にこの事であった。

音楽人として夢に出て来そうなくらい印象的な作品を常に目指していたいものだが、今回のような「怖さ」に対する見解を音楽に置き換えてみても様々な表現が模索出来るであろう。

DTMで普段使っているクオンタイズ機能を一部やめてみるとか、ある小節だけテンポの呪縛から外すなど、「曖昧さ」を取り入れてみても良いのではないだろうか。

それにしても…

人はこれからも、不気味な夢を見ても「怖い夢を見た」と言い、「不気味な夢を見た」などと言ったりする日が来る事はないのだろう。日本人特有の言語習慣は実に曖昧なのだ。「橋 端 箸」それ自体がホラーである。

 

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人生楽しく行く!ゲーム、料理、恋愛、音楽を主に語る。他にも音楽制作ログ、音楽研究 作曲公開なども

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